実は映画監督・木下惠介が学生時代を過ごしたのも浜松・元城
こんにちは。浜松市街地を中心に、マンション「ART FORME(アートフォルム)」分譲や街づくりに取り組んでいる丸八不動産です。
今年はアカデミー賞国際長編映画賞に日本映画『ドライブ・マイ・カー』が輝くなど、日本映画の面白さにあらためて注目が集まっています。振り返ってみると、日本映画を牽引してきた巨匠・監督たちは数多く、浜松出身の映画監督・木下惠介もその一人です。
『二十四の瞳』など日本の映画史にも残る作品を数多く生み出した木下惠介。実は、アートフォルム元城が建つ場所にかつてあった元城小学校の卒業生なんですよ!
◎伝馬町生まれ、元城小学校卒業生の名監督
1912年(大正元年)に浜松市伝馬町で食料品店を営む両親のもとに生まれた木下惠介。
6歳から元城尋常高等小学校に入学し、なんと小学校3年生の頃から映画館で映画を観ていたそうです。
その後、映画の道に入ったのは、1928年のこと。一度は浜松工業高校で紡織を学んでいたけれど「性に合わない」という理由で映画の道に進んだ、なんてエピソードも、かつて繊維産業で栄えた浜松で育った人物らしいエピソードですよね。
小学生の頃に木下惠介が通った映画館は一体どこだったのか。
木下が小学生だった1910年代に街中にあった映画館は、鍛冶町に三松館(さんしょうかん)が。そして1918年には千歳町に敷島館が開館したという資料も残っています。伝馬町大通りにあった吾妻座も、当時浜松市内で一番大きな活動写真館だったそうですから、これらのどれか、かもしれませんね!
そんな歴史に思いを馳せながら、これから始まる梅雨の日は、木下惠介の作品を堪能してみるのも面白いかも知れません。
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